UVAによってエラスターゼ(エラスチンを破壊する酵素)がつくられて肌の弾力が落ちていく。
そんなことを、しじゅう真面目に考えている人間なんて私くらいかもしれない。
そして、そんな私の心は、止むことのない老いへの恐怖によって、少しずつ壊れはじめよう。
とにかく老化を進ませないために、いったい何ができるだろうか。
外側から手を加えたとしても、それはあくまでちょっとばかり表面を若返らせただけであり、老化を遅らせることには何の役にも立っていないのだから。
だったらあとは、と考えてたどりついたのが、やはり日常の食事の管理と運動だった。
何だか当たり前すぎてつまらないかもしれないが、やはりこれは基本中の基本だ。
私はハッキリいって運動が大の苦手だった。
するのも見るのも苦手だった。
それは生まれつき運動神経がにぶく、何をやらせても人並み以下だということが理由だが、もうひとつ、汗をかくことが嫌いだということも、運動嫌いに拍車をかけていた。
少し前まで、運動は健康やダイエットのためにやるものであり、まったくの健康体でダイエットにも興味のない私には、無関係のことと勝手に決め込んでいた。
しかし若返りに関するどんな本を読んでも、運動の重要性に触れていない本はないといってもいいすぎではない。
もっといえば運動をやればこんな薬を飲まなくても、同じ若返り効果が得られるのではと思うこともある。
運動なくして、若返るのはやはり無理なのだ。
たとえば、前述の顔の筋肉運動は下手な化粧品よりもずっと、そして確実にたるみ防止に役立つ。
また身体のライン維持のためには、どんなドラッグやマッサージよりも、運動が効果的だ。
そう気づいた私は、はじめのうちは半分仕方なくではあったが、顔の筋トレと、ダンベルによる身体の筋トレを毎日欠かさずおこなうようになった。
運動というものは、すぐに効果があらわれる種類のものではないため、持続するにはかなりの努力が必要だが、やりはじめると毎日やらずにはいられなくなる。
自分でも、なんでこんなに疲れているのにやらなきゃいけないんだと思いながら、ダンベルを上げ下げしていた。
そんな努力のおかげで、一年後には顔もしまり、まったく筋肉のついていなかった私の腕には人から見てもすぐわかるくらいの筋肉がつき、体脂肪も一九パーセントから一五パーセントに落ち、ウエストも五八センチメートルから五四センチメートルに落ちた。
もちろん体重に変私はこの結果を見て、運動の重要性を改めて認識した。
努力は必要だが、お金がかからず効果的な若返り療法はやはり運動しかないのだ。
人間はついつい楽なほうへ、手っ取り早いほうへと流されがちで、もちろん私もそのうちのひとりだった。
そんな中でほんとうに必要なことを見落としがちになってしまうのだ。
ところで私は、焼き肉とかハンバーグのたぐいをいっさい口にしない。
現在の私には、以下のように「食べてはいけないものりスト」がある。
まず、「食べてはいけないもの」は、赤身の肉、ファーストフード、揚げもの、ラーメンなど。
「なるべく避けるもの」は、じゃがいも、パスタ、パン、白米。
まるでダイエット用メニューのようであるが、そうではない。
老けないためのアンチ・エイジングメニューとでもいったらいいだろうか?私は、あるときから食事にまでアンチ・エイジングを追求するようになっていた。
もともと太りにくい体質のため、それまで好きなものを好き放題食べていた私が、日常の食事内容までコントロールするのは、はじめのうちはかなり抵抗があった。
しかしそれも慣れると、逆に食べてはいけないものなどは身体が受けつけなくなるので、予想したほどたいへんなことでもなかった。
ではこのアンチ・エイジングメニューは、いったい何を根拠に決めているのかというと、運動を軽く見ていたことを反省している。
要因とは、血糖値の急激な上昇により分泌されるインシュリンが体内に炎症物質をつくり、この炎症が肌老化を進めてしまうことがひとつ。
そしてもうひとつは、血糖値の上昇が肌老化の根本的な要因ともいえるグリヶーション化を促進させてしまい、それがコラーゲンやエラスチンの劣化に結びつくことでくすみ、シワをつくってしまうことで要因ともなる。
その要因とは、そのため、肉は鶏肉のみ、魚はGI指数の低いサーモンを主に口にし、料理に使用する油は炎症を促進させないオリーブオイルやグレープシードオイル、そしてゴマ油のみだ。
おかげで自炊の機会が増えた。
外食だと、どうしても避けるもの、またはなるべく避けるものが登場する機会が増えるし、どんな油を使用しているか把握できないからである。
運動に食事、このふたつは人間の生活の中でとても重要な位置を占める。
そしてこのふたつをうまくコントロールするには、現代人にとっては非常な労苦をともなう。
だからこそダイエット産業はあれほどに栄えるし、効果の怪しげな健康食品も続々と登場する。
そしていつごろからだったであろうか?私はごくごく表面的にだが、実年齢よりも若い。
しかし「若く見えますね」と言われると、それをめざしてきたのだからうれしいはずなのに、なぜだか心の底から喜べず、「だから何?それがそんなにすばらしいこと?」と心の中で相手に聞き返す自分がいた。
若く見えているのは所詮表面だけであって、身体がとっくに悲鳴を上げていること、それが長続きしないことは、誰よりも自分自身がいちばんよくわかっていた。
きれいになれば幸せになれるだったら、いまの私は幸せなはずだ。
私はちっとも幸せなんかじゃない。
それどころかどんどん幸せが自分から遠ざかっているような気さえする。
ある日、こんな一枚のハガキが届いた。
「街角でわが母校の制服を着た後輩を見るたびに、当時の仲間たちはどうしているかしらと思いをめぐらせてきました。
いまでは娘があのころと同じ制服を着て、懐かしい母校に通う姿を見ていると、ついつい昔を思い出してしまいます。
」同窓会の案内状に記されていた挨拶文。
ふ−ん、何だか相変わらずな感じ。
すでに私はゲンナリしていた。
みんな、どうしているんだろう。
どうせあの学校だから、雑誌に出てくるシロガネーゼみたいな奥さまになっているんだろうなあ。
なんかヤダなあ。
前にも述べた通り、私は自分の通っていた中学・高校がどうしても好きになれなかった。
愛校心などは微塵もなく、当時の友達とも疎遠になっていた。
行くのやめようかなあ。
仲いい子もいないし、とりたてて会いたい子がいるわけでもないし、そもそも話が合いそうもないし。
でもあるとき、急に考えが変わり、絶対に行こうという気持ちになったのである。
「きれい」はいったい、誰のため?私はいつも教室の片隅か端、そんな天使たちの姿をあこがれのまなざしで見つめていた。
一三年後のいま、あの天使たちはどうなっただろう。
もしかするといまでもほとんど変わらない輝きで私を圧倒するのではないか?私は同窓会の前夜に、そんな天使たちのひとりに再会し、ほとんど変わっていない彼女の容姿に打ちのめされる夢まで見た。
そして当日。
何が私の気持ちを変えたのか。
それはこんな意地悪な、不純な動機からだった。
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